私は10月4日、津田さんと同じ電車に乗って常陸太田に降り立ち、そこで初めて津田さんと「遭遇」しました。お互いのことは何も知らない。それでも、ひとつ屋根の下で共に作業し、同じ部屋で寝食を共にすることを10日間続けました。お互いに自分のことを話すことは稀で、するのは菊池さんの家の展示のこと、常陸太田であった発見のこと、そしてアートのこと。ぼくは津田さんの作品のことは知っているけれど、正直津田さん自身のことはよく知りません。だけどいつの間にか、二人の間には親しみや、連帯感が生まれていたとぼくは信じています。そして、それを象徴的に実感したのは、10月17日、展示の設営を終えて一旦解散したぼくと津田さんが再び同じ常陸太田行きの水郡線に乗り、「やあ」と声を掛け合った瞬間でした。ああ、そうか。これがアートなのだと、不思議に腑に落ちた気がしたのです。
現代においての芸術作品とは、「わからないもの」だと思っています。どんなに言葉を尽くして作品について説明をされても、やはりそこにはわからなさが残る。そしてそれは、「他者」のわからなさに極めて近い。私はどこの生まれで、こういう仕事をして、こんな人だからと自己紹介をされても、もしくは第三者にあの人ってこんな人だよねと説明をされたところで、それらは人間の本質的な部分を全くと言っていいほど説明していない。やはりそこにはわからなさが残る。それを理解するためには、その人物と実際に時間を共にし、肌でその人を感じるしかないのだと思っています。それでも、その人間を理解したと言うのはおこがましいかもしれません。けれどもわからないなりに当人の間には親しみや愛着が生まれます。もしくはどうにも好きになれない、となることもあるかもしれません。
“Art is a state of encounter”(芸術とは、出会いの過程である)とはフランスのある有名な美術理論家の言葉です。この人の、アートは作品そのものではなく、そこから始まる関係性のことであるという言説(かなり大雑把な要約ですが)は90年代以降の現代美術の流れに多大なる影響を与えました。この一節の意味するところを本当の意味で理解ができたと思った瞬間が、あの津田さんとの「やあ」の瞬間だったように思います。
現代美術館に行ったことのある方なら誰しもが、作品かどうかさえよくわからない物体を目の前に途方に暮れた経験はあると思います。そんな時はまず作品から一歩距離をとって、「おやおや、これはまた随分なオテンバ娘ですね/暴れん坊ですね」とでも心の中でつぶやいてみてください。そして、ゆっくりと作品を観察し、作品との対話を試みてほしいと思います。作家が一生懸命に練って産み落とした作品である以上、その中に語りかけるものは必ずあるはずです。それを理解できなくても是非感覚を開いて「感じて」ほしいと思います。
つまり作品を鑑賞するということは作品に出会い、そのわからなさに付き合うということ、そしてその「わからなさ」に付き合うということが、ひいては「わからない」他者と付き合い、その声に耳を傾け、尊重する力を育むことにつながるのではないか、と私は信じています。
現在、アートを使った地域おこし事業は、日本各地で行われています。そして、それは必ずしも一様に成功しているとも言えないという話も聞こえてきます。実を言えば、自分もその効果に対して懐疑的な人間の1人でした。年間予算を組んで行われる役所の事業と、必ずしも経済的な利益に還元されることのないアートという領域があまりにもかけ離れすぎているのではないか。また、純粋に「地域の利益のために」という思考回路になってしまった途端、アートの持つ言わば批評的な側面は失われてしまうのではないか。それはもうアートとは呼べないのではないかと。アートは時に人を当惑させ、迷惑をかけるものであったことは美術史からも明らかです。
けれども実際に自分が常陸太田に滞在してみて、必ずしもその批判は的を射ていないかもしれない、と思うようになりました。「アート」という1つの専門を持った若者が、ゆかりのない地域に長期滞在すること。そこの地域の方々と草の根レベルで繋がりを持ち、地域に既にある営みから学んでいくこと。その中で、地方に生きる1人の作家として自分には何ができるかを模索し、表現行為で実際に現実への介入を試みること。そしてそのありさまを地域の方々に見せること。その一連の過程の持つ創造的な可能性は、その作家を見守り、手助けをしてくださる地域の皆さんにとっても、そして作家本人にとっても、計り知れないものがあるのではないかと感じるのです。そしてそれが結果的に、なんらかの形で地域がより活性化されるトリガーになることを期待するようにもなりました。また遠くから常陸太田AIRの活動を見守っている限り、そのような変化はすでに起きつつあるのではないか、とも思っています。
結果として出来上がったものが、それはアートではない、という批判に晒されることもあるかもしれません。それは確かに、大学や美術館、コマーシャルギャラリーを中心に作られた制度的なアートの牙城を守るためには、非常に大切な批判なのかも知れません。アートは他のあらゆるものと自らを区別することによって、その存立根拠を守ってきたからです。しかし私が今回の常陸太田の滞在で目の当たりにしてきたものは、まさしくその制度的なアートが掬いとることのできない、その枠組みでは括ることのできない「非アート」な作品や営みの持つ面白さや爆発力、都会を中心とした所謂「中央」でつくられる既存の「もののあり方」に対するカウンターのメッセージに他なりません。その面白さに目を開いた瞬間、それ自体が「アートか、非アートか」という問いが、いかにアート自身のためだけの小さな問いであるかに気がつくはずです。
こうして見てきたように、アートを日常の中で再構成をするという試みは常に「アートと非アート」を行き来することであり、それを突き詰めていけば、アーティスト本人を育んだ、大学を含む制度としての「アート」の土壌すらも切り崩そうとする行為なのかもしれません。そこにはアーティスト自身のアイデンティティをめぐる葛藤も伴うかもしれませんし、周囲の方の理解とサポートも不可欠かと思われます。しかし、私はそれが切り崩された地平にある表現が、地域とともに存在する姿を見てみたい。そしてその表現を得たアーティストが、レジデンスを離れた後にどんな活動をしていくのかを見届けたい。そんな思いを胸にこのブログを書き終えようとしています。
親身にご協力いただいた菊池さんご夫妻を始め、陶水会の方々、水府の地域の方々、NPO法人結の方々、現場を支える役所の方々、大工の菊池政也さん、そして声をかけてくれたミヤタさん、滞在アーティストの林さん、なるさん、ゲストの津田さん、東山さん、仲田さん、そして何より菊池サクおばあちゃんと昇さん夫妻に最大限の感謝の気持ちと敬意を表し、この長々としたブログを閉じようと思います。常陸太田で過ごした一瞬一瞬が自分にとっての財産です。また近いうち、良いかたちで皆さんに再会できるのを心待ちにしています。本当にありがとうございました。
巻末に、自分が展覧会のオープンに寄せて綴ったステイトメントを掲載します。サクさんの作品との出会いによって、この展覧会の方向性が決定し、導かれるかのように展示構成も決まっていったことから、展覧会の象徴としてのサクさんの作品に焦点を当てて書かせていただきました。未見の方は、そちらもどうかご覧いただけたら幸いです。
- 高台の菊池さん家『井戸端アートギャラリー』開催によせて ステイトメント(pdf 182KB)