ミヤタユキ ヒタチオオタ芸術会議2014

ヒタチオオタ芸術会議2014〈高台の菊池さん家〉


ヒタチオオタ芸術会議2014を終えて、約3ヶ月が経った。あれから、様々な意識が渦巻き、多くの日常が変化しつつある。アートイベントをするということは、それ以降の変化や進化、それでも変貌しない何か(絶対的な地域の本質)を感じ取り、改めて次の表現へ進む事なのだと思う。「ヒタチオオタ芸術会議2014〈高台の菊池さん家〉」と「ヒタチオオタ芸術会議2014〈出来事の創出〉」「ヒタチオオタ芸術会議2014〈荒蒔邸〉」の3つのブログで、今だからこそ、言葉にできることを記しておこうと思う。

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「ヒタチオオタ芸術会議2014」

ヒタチオオタ芸術会議2014のテーマは「井戸端アート」。

アートは井戸端会議の中でおきている。
日常で生まれるアート、井戸端アートこそ、生活のためのアートである。

私の移住している常陸太田水府地区では、井戸端会議が日常である。どこからともなく地域住民が集まり、近所の家や縁側に採りたての野菜や漬物、菓子を持ち寄り、自然と井戸端会議が始まる。日々の話、将来の話、思い出話の中で、いつしかアートの話をするようになった。個人で制作しているモノを持ち寄り、手法を教え合う事もある。強固な関係性とも言われがちな地方のコミュニティに、柔軟な感覚が溢れる多様な関係が成り立っている。当たり前の日常の中で、井戸端会議こそオルタナティブな空間であり、創造的なアートな時間なのだ。そして、井戸端会議で皆がそれぞれ自然に持ち寄ったモノ、それにこそ、独自のこだわりや美意識が静かに潜み、現代美術に成り得るインパクトを持ち合わせている。こだわりや美意識、それぞれの独創性にスポットライトを当てることで、いつもの風景が誰かに衝撃を与え、次のアクションに繋がる。日常の出来事が、自然にアート的視点に変化していく。ヒタチオオタ芸術会議では、井戸端会議で起こる様々なハッとする出来事、そこから生まれた多くの柔軟な関係性を現代芸術として展示し、地域の皆さんにアートを身近に感じていただく事を目的とした。

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「高台の菊池さん家」

ヒタチオオタ芸術会議のメイン会場のひとつで、今回のコンセプトの象徴的存在でもあるのが、「高台の菊池さん家」だ。常陸太田市水府地区の高台にある民家である。3年前に、住んでいた菊池さくさんが入院したために空き家になった。2014年の3月にさくさんは92歳で亡くなられ、壊される予定となっていた。さくさんの息子さん夫婦(菊池覚さん・政子さん)の協力していただき、この民家を「井戸端アートギャラリー」としてお借りする事ができた。

アクティブで様々な活動をしている政子さん。所属する陶芸チームのひとつに、郷土文化保存伝承施設「こしらえ館」を拠点に制作活動を続ける”陶水会”がある。その陶水会が、「高台の菊池さん家」の庭でバーベキューを開催するとのことで、誘っていただいたのが全ての始まりだった。こしらえ館の講師をしている根本聡子先生が、常陸太田AIRを支えるNPO法人結のメンバーということもあり、水府地区で精力的に活動する陶水会と繋いでくれた。その集まりの際に、この民家の放つ空気と”さくさんの作品”に一目惚れした私は、壊す前にギャラリーとして貸してほしいと申し出た。

そのころのブログ「やっぱり芸術はダークマターだった」

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民家の中には、さくさんの作品と思われる、梱包バンドやビーズでつくられた吊るし飾りが残っていた。あまりの美しさと細かな手作業、空間にまで流れ込む雰囲気に圧倒され、その吊るし飾りと現代美術家の作品を、現代芸術として同じく空間に展示させてほしいとお願いした。はじめは冗談だと思っていた政子さんや覚さんも、さくさんの作品の素晴らしさや「高台の菊池さん家」が放つエネルギーについて語るうち、自由に使っていいと快諾してくれた。政子さんと相談し、この民家を「高台の菊池さん家」と名付た。
「高台の菊池さん家」が、ヒタチオオタ芸術会議のテーマや意義そのものであり、常陸太田AIRのこれまでと今後の歩みを体現している空間である。近所の皆さんが清掃の手伝いに来てくれたところからスタートした。半壊している部分も多かったが、廃材の様も美しく、そのままにしてもらった。床が抜けているところも多かったが、地元の大工さんである菊池政也さんが無償で修復してくれた。ゲストアーティスト達が加わると、夜中まで「高台の菊池さん家」や地域、さくさんについて考えを巡らせ、議論を繰り返した。

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上の画像は「高台の菊池さん家」の展示に招聘した、津田翔平の作品【閾(いき)】である。津田翔平は、その土地の持つ本能や特性を読み取り(我流に感じ取り)繊密ながらも簡潔な空間を生み出す。彼が平然と創り続ける強烈な非日常は、あまりにも自然に、地域や観る人の心に寄り添うために、妙な安心感すら与える。

彼がはじめて常陸太田に訪れ、地域の皆さんと出会った時から、これはスゴイ事になるなと確信したのを思い出した。同じ日に常陸太田を訪れた、ゲストキュレーター(コーディネーター)の佐藤慎一郎と津田の二人は、自分の意識や意見よりも、地域が今何を思い、何を感じ、どのような現実や日常に身をおいているのかを全身で、驚くほど真摯に捉えようとしていた。(そして、初対面にもかかわらず、同い年で容姿がほぼカブっているふたり。地域の方に分かりやすい様、メガネをはずしたり髪型を少し変えたり地味に努力していたのも微笑ましい思い出。)

佐藤慎一郎はキュレーターとして呼んでおいて、アーティストや方向性、やりたいことは私がほぼ決めてしまっていたため…本当に柔軟に様々な作業と対応をしてくれた。彼の穏やかで不思議な、ビックリするほどすぐに誰からも愛される柔らかなパワー(ソフトパワー?)のおかげで、構想含め準備期間10日という短期間で満足のいく展示を行うことができた。私の抽象的なイメージや言葉になりきれない言葉を補い、彼の手によって素晴らしいステートメントやキャプションも作られた。本当に感謝。

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(左:ゲストアーティスト津田翔平 右:ゲストキュレーター佐藤慎一郎)

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そう。そしてアーティスト津田翔平は、「高台の菊池さん家」にて、廃材を使った作品【閾(いき)】を発表した。宙に浮く廃材は、菊池さくさんが日々の制作に使用していたリリアンで繋がれている。この家は浮遊しているようだ。この家は壊れゆくのか、再構築されようとしているのか。誰も住んでいない家、それでも魂を感じる家。人が集いだす家。様々な顔を持ち、いかようにも変容する可能性で溢れるこの家そのものを、津田の作品がシンボライズした。

この作品を見て、近所の小学生は「こんな近くに本物の芸術があった!」と叫んだ。「去年の夏に本物のモナリザ見たけど、こっちの方がずっと芸術で美術だ。」とも言った。近所の大工のおじちゃんは、「この木は生きてる!きっと何年か過ぎたら勝手に動き出して、新しい床や家を構築してくれるよ。」と言った。何人もの人が「芸術って魔法みたい!」とか「価値観が変わっていくけど、なぜか落ち着く。」と言ってくれた。津田の作品は、この地のリアルなのだと思った。小学生がモナリザよりも【閾(いき)】をみて芸術だ!と言ったのも、この地の生命力の根源や本質に触れているからだ。

この作品は、今も菊池さん家のシンボルとして残されている。会期中から、多くの対話を生んだ作品。木の重さにより、ゆっくり少しずつカタチを変えながら存在する【閾(いき)】。常に、この地を表し続けている。

作品についての詳細は「津田翔平「閾」についての雑記」を。

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もうひとりの「高台の菊池さん家」ゲストアーティスト。踊り手の東山佳永。
彼女には、10月19日(日) 16:00-19:00に、パフォーマンスを依頼した。地域の方には珍しい”踊り手”という芸術家の作品を体感してほしい、というのが招聘のきっかけだった。別の仕事が入っていたのにもかかわらず、常陸太田AIR事業のコンセプトと会場である「高台の菊池さん家」の物語を深く理解し賛同して、参加してくれた。

上の画像は、彼女の作品『菊の花に蝶が舞う』である。
彼女は、自らが舞うパフォーマンスだけでなく、地域の皆さんを巻き込む体験型の作品を創り上げてくれた。しばらくの間、この作品を思い出すたびに涙していたほど、尊く深奥な時と空気だった。

彼女は、常陸太田に来ると、菊池さんと何度も対話を繰り返し、菊池さん家に溢れるたくさんの想いを連ねてくれた。さくさんの息子さん夫婦(菊池覚さん・政子さん)から、菊池家にまつわるストーリーを聞き記録してくれたのも彼女である。この家に住んでいたおじいちゃん、昇さんの(何冊にもわたる)日記やさくさんと二人積み重ねてきた毎日、日常の全てを作品に取り入れてくれた。

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(東山佳永のリサーチ。さくさんの思い出を元に、覚さんが作ってくれたレクイエムと手紙)

彼女は愛の塊のようだった。(この世に存在しうる現象事象の)全てを深い深い愛で包み込み、途方もない感覚のやり取りを自分の細胞に沁み込ませているようだった。多様な世界の壁や時間 の観念を忘れさせてしまうような、何とも言い難い、異次元に迷い込んだかのような作品に、その言葉を遥かに超え、表現せざるを得ない人間の本質を垣間見た気がした。

作品についての詳細は東山佳永の「ヒタチオオタ芸術会議に参加して」を。

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(「高台の菊池さん家」夜な夜な準備中の図)

アーティストだけでなく地域の皆さんの作品を展示した「井戸端ギャラリー」。
畳を2畳分だけ宙に浮いて見えるような空間を構想し、地元大工(菊池政也さん)によって素晴らしい施工がされたり、たくさんの地域の皆さんの手によってギャラリーが作られた。

毎日毎日膨大な作品と向き合い続け、幾度もの展示変更を経て、結果的に全員が満足のいく展示構成となった。政子さんが所属する”陶水会”の皆さんの陶芸作品や膨大な量のさくさんの作品達。芸術を意識して作られていない作品達を、芸術として再構築し展示することは、私達にとっても挑戦だった。それでも、地域の日常やその中で生まれる特別な瞬間、地域のクリエイティビティをたくさんの人に感じてもらいたかった。


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・左上:「じょうづる部」地域の陶芸チームや老人ホームで作られた陶芸の”じょうづるさん”(常陸太田市子育てキャラクター)
・左下:菊池さくによる「結束バンドの吊るし飾り」
・右上:ミヤタユキ「水府コイノボリプロジェクト-scoi(スコイ)-」のコイノボリのれん
・右下:陶水会による陶芸作品。暗室でLEDライトを使用した展示。各作品の”強い意志”(こだわり)にライトが当たっている。

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イベント開催の 1週間で、市内外から500人を超える方が、「高台の菊池さん家」を訪れた。生々しい作品群に、涙が出たという感想も多かった。地域の手作業、日常に溢れる創造的時間にこそ、美しい芸術が芽生える。地域の持つ創造のエネルギーは計り知れず、大きな渦を描きながらさらなる創造へと連なっていく。


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津田翔平と東山佳永が帰る夜、「高台の菊池さん家」の展示に関わった一部の方達とアーティストで、打ち上げが行われた。この打ち上げは、菊池覚さんと政子さんが提案し準備してくれた。(提案を聞いた時、本当に本当に本当に嬉しかった!)

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“井戸端アートギャラリー”は、地域にもアーティストにも関係性と価値観を創出したように感じる。「高台の菊池さん家」では、津田翔平やさくさんの展示をそのまま残してあり、取り壊しも延期され、息子さん夫婦(菊池覚さん・政子さん)や近所の皆さんの手により、新たなスペースとして再構築が始まっている。コミュニティスペースとしても活用されはじめ、この空間をベースに住民主催の様々なイベントや取り組みが開催されている。メディアの取材も多く、もともとの菊池家の明るい雰囲気と相まって、進化した活気で溢れている。


自然界に存在する美しさはもちろん、人間の手や関係性によって創りだされた美しさは、時に魂を救うことがある。人間に内在している美的な感覚は、人が人として創造的に生きるために必要な根本の存在なのである。多くの事象や関係性への架け橋は、「美」であり、創造的活動である。芸術(美術)は、社会と精神、個人と他をつなぐ架け橋であることに改めて気づく。



菊池覚さん、政子さん、菊池さん家の展示を支えてくれた、たくさんの地域の皆さん、菊池建築工業の政也さん、津田翔平、佳永ちゃん、慎くん、根本聡子さん、こしらえ館の皆さん、陶水会の皆さん、じょうづる部の皆さん、お隣の細谷さん、高台の菊池さん家に足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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「ヒタチオオタ芸術会議2014〈出来事の創出〉」

「ヒタチオオタ芸術会議2014〈荒蒔邸〉」につづく・・・

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