太田祭り協賛団扇ご協力お願いします


去年は、自粛となった太田まつり、今年は晴れて開催と決まり実行委員会も5回を重ねました。スタッフSは10年くらい実行員をしています。

去年は震災復興をうたった「がんばっペ茨城」に背中を押されて当市の有志で「がんばってます常陸太田」プロジェクト進行中。その仲間と、本来の太田祭り実行委員会メンバーにより、「がんばってます常陸太田夏祭り」として開催しました。

当然、開催のための資金はなく、オリジナル団扇を作成、1本500円で販売、多くの方たちに支援をいただき開催にこぎつけました。

至らない所沢山あり反省もありますが、良かったことは、この団扇販売。今まで、太田祭りは地元企業のかたにご協賛をいただいていたのですが、一般の市民の方へ応援をしてくださいと呼びかけたくてもどうしていいのか方法が見つからなかったのです。

去年多くの市民の方が、1本2本と団扇を購入して下さり「がんばって」と言葉もかけていただきました。それを今年も引き継ぎ、ひとりひとりの市民の方に、町のお祭りとして応援をお願いしています。

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スタッフSは日立市で育ち、結婚で常陸太田市に移ってきました。結婚した最初の夏、夫と義母と太田祭りに出かけたことは、今でも鮮明に覚えています。妙に盛り上がったテントで若者がビール飲みながらビールを売っている(後から商工会青年部ってわかりました、誰がいたかも覚えてるんだ・昭和29年組だった・笑)楽しそうな顔・顔・顔。山吹運動公園をぐるっと一周する屋台の多さ、そして頭の真上であがる花火。祭りのなかった町に育った自分にとって、なんて楽しいお祭だろうと…。いつか、自分もあのテント中の楽しそうな仲間の一人に入りたいと思ったのも、はっきりと覚えています。

子供が生まれ、毎年花火を楽しみました。太田祭りの花火は、グランドの芝生に寝っ転がって見るのが一番です。真上に上がる花火を見続けていると、その花火が躰に向けて降ってくる、躰が夜空に浮遊していく感覚におそわれるほどでした。

子供たちは、小学校高学年になると、浴衣を着てあの暗い山吹運動公園をグルグル歩くのが楽しみのようでした。帰ってくると、足はホコリだらけ、履きなれない下駄で足にマメを作って(*^_^*)きっとああいう場所で「初恋」とか生まれちゃうんでしょうねぇ。どうだったのか、おとなになった娘たちに聞いてみたい気がします。

そんな思い出を途切れさせるわけには行かないね、と去年の祭り自粛の時に思い、今年の復活・太田祭りにつながるのです。去年の「できることを支援する」想いが、今年も継続されているのか、若干の不安はありますが、自分の思い出を途絶えることなく次の常陸太田に住む人に手渡したい。どうぞ、協賛団扇のご協力お願いいたします。

同じデザインの缶バッチも販売してます、こちらもどうぞどうぞよろしくお願いします。

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