2014年のヒタチオオタ芸術会議にゲストアーティストとして参加させていただきました、東山佳永(とうやまかえ)と申します。
私が常陸太田とご縁を得たのは、レジデンスアーティストの林友深さんのお誘いが始まりでした。
その日に別件の仕事が入っていたのですが土地に根付いて一生懸命活動をしている彼女の姿勢と会場である菊池さんのお家/そこに住まわれていたサクおばあちゃんのクラフトの写真を見てすぐに引き込まれ、参加することにしました。
わたしは普段、踊り手や美術、言葉など媒体を問わず活動しています。
今回ヒタチオオタ芸術会議では”パフォーマンス作品を”と依頼されたので、まずなにをすべきか考えるべくリサーチに行きました。
すると会場である”高台の菊池さんのお家”には住まわれていたサクおばあちゃんが生前につくったクラフトの数々や
地域の方の陶芸品、津田翔平のインスタレーションが、すでに設営中で、舞台(空間)はほとんど出来上がっていました。修理され大切に使われてきた家そのものの空気がアーティストたちによって蘇っていました。
その舞台に身を置き、わたしがやるべきことはそこで繰り広げられるストーリーだと感じました。
舞台に添える物語。
一番適していて映える物語は、そこに住まわれていた方の人生の物語だろうと思ったのです。
その場に生きた人のドキュメンタリー。
それを見にきて下さったかたに新たな視点で感じてもらうこと。
土地の方々とアーティストが日常的に良い関係を築き、繋がっている常陸太田では、パフォーマンスといっても、ただ踊りをみてもらうとか単純なことではなくてもっと広義の存在としてのパフォーマンス―この物語はみなさんに体感してもうらうべきだ…とその方法を考え、作品にしたのです。
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『菊の花に蝶が舞う』
2014
秋に咲く美しい花。
菊は仏花としても使用される。天を仰ぎ、死者にたむけられ、あちらとこちらを繋ぐ。
お墓で供えられた菊に戯れる蝶をみる度、先祖や黄泉の国からの使者のような気がして、世界が繋がってるように感じていた。
ここの家の最後の住人である菊池サクさんは、今年の3月に亡くなった。
サクおばあちゃんもいなくなり、ほとんど使われなくなってから、このお家は急激に老化していっただろう。
家も呼吸し、生きている。住む人の空気が染み渡り、表情を変える。
この家はもう使われていないが
ただ、ここには住んでいたおばあちゃんとご一家の残り香が今も色濃く漂う。
その残り香と家が今も愛おしく思われていることを鮮明に感じると、その人が住んでいた風景を想像する。
サクおばあちゃんは、キク科のコスモスの花が大好きだったという。
今年も秋花が咲き、蝶がやってくる。
菊の花に蝶が舞うように、あちらとこちらを行き来してみたいと思う。
常陸太田に、水府に、この家に生きたおばあちゃんの人生を追体験し、ここに生きた人と家の姿を味わってもらいたい。そうしたら今日、あの頃の風景が蘇るかもしれない。
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それで作品は、というと
こんな様子▼
参加するみなさんにおばちゃんのコマを作ってもらって、生前おばあちゃんが着ていたかっぽうぎを着ていただくと参加でき、孫に扮した私と行う菊池サクさんの人生ゲーム。
玄関を入ると、サクさんとのぼるさんの写真、その前に顔の書いていない人形『こちらの人形に割烹着を着た菊池サクおばあちゃんを一体描いて下さい。』とあります。
その次に本当にサクさんが使っていた割烹着があり『割烹着を着て下さい。おばあちゃんになったら、こちらへどうぞ。』とあり、その奥が会場の部屋になっています。
その部屋の畳は床から一段上がっていて非日常と日常の間。少しだけ空のサクさんに近い。
参加者はそこに机を囲んで座ります。
浮かんだ畳の上で、複数のおばあちゃんが机を囲む、不思議な光景。
机の上には水彩画で描いた菊池さんちに、透明なシートを重ねお家の中から空へと進む人生ゲームが。
それぞれにつくっていただいたサクさんのコマをスタートに置いて、始めます。
マスにはサクおばちゃんとのぼるおじいちゃんの本当の日常のエピソードが書いてあって、サクおばあちゃんとしてゲームを進めるお客さんは、おばあちゃんを演技しながら実際にそのことを体験していきます。
これは演技の動機を利用した作品でもあります。
例えば、新しい家が建った記念に息子と写真を撮る
とか
孫にお小遣いをあげる
とか
坂道で転んで、動けなくなる(一回休み)
などなど…
進んでいくにつれて、老いていきます
若いころの走馬灯を見るというマスで、
私が若いころを想像しながらおばあちゃんになり、お庭でパフォーマンスしたり
天国のおじいちゃんとテネシーワルツを踊ったり…
最後のゴールは天国の雲の上。
”天国で息子からの手紙を読む”
というマスです。
これは、私が息子さんにサクさんのこと思い出したことがあれば、
なにかメモしておいて下さいと頼んでいたら、
レクイエム と題して書いていて下さり、
サクさんが一番喜ぶ、こんなによい捧げものはほかにはない、
その愛情に感動してクライマックスに朗読させていただきました。
3月に亡くなったサクおばあちゃんが住んでいたお家が舞台だった今回。
息子さんご夫婦、菊池さんご一家からサクおばあちゃん、のぼるおじいちゃんの話を、水府に生きる人の人生を教えていただきリサーチした内容に流れを描き、おばあちゃんの人生を追体験するような作品をつくれたのは自分にとっても、現代美術の中で取り組んでいる物語性、”ドキュメンタリー”に向き合う良い機会でした。
息子さんご夫婦がサクさんのことを思い出していく瞬間に立ち会えたこと、お孫さんとの会話、ご家族と関わる地域のかた、つくってくださった料理、残されたひとつひとつのモノたち、全ての物に注がれる愛情がほんとうにあたたかくて、いつのまにか家族になったような時間でした。
心の中にほんわかとあの時間が残っています。
普段土地のことや場所性をまずリサーチするところから始めるのですが、
今回は、サクさんの人生を通して家のこと、土地のことを知っていきました。
住んでいた人々の空気が染み込んだお家も、家族の美しい想いも、
作品を通して、昇華して感じてもらうことができていたら嬉しいです。
常陸太田の皆様、本当にありがとうございました!
愛を込めて。◯
東山佳永
こんにちは、サポーター家族の小坂です。当日娘の迎えのため東山さんのパフォーマンスを拝見できなかった一人です。今回の内容を読み昨年他界した父の事をふと思い出しました。 もし、この場にいたら絶対泣き虫の私はびーびー泣いていたと思います。作品に思いを重ねる人は特に、でも作品の流れの中で少しづつですが吸い込まれていたひとは、誰かに思いをよせパフォーマンスを拝見したのではないかと想像します。見たかったなーー 2015年も頑張ってお手伝いしますのでよろしくお願い致します。
ディレクターミヤタです。小坂さん!いつも本当にありがとうございます。東山佳永のパフォーマンスに涙した(びーびー泣いた)ひとりとして…
本当に美しく尊い時間でした。彼女は全て(この世に存在しうる現象事象の全て)を深い深い愛で包み込み、途方もない感覚のやり取りを自然に表現している様でした。多様な世界の壁や時間の観念を忘れさせてしまうような、何とも言い難い、異次元に迷い込んだかのようなパフォーマンスに、その言葉を遥かに超え、表現せざるを得ない人間の本質を垣間見た気がします。
2015年、さらに、たくさんの地域の美しさに触れ、多くの関係を紡いでいけたらと思います。よろしくお願いいたします!!!