芸術会議 〈展示編〉

常陸太田芸術会議で、水府に滞在をしていた頃から、早いもので既に4ヶ月が経ちました。津田さんと東山さんの立て続けのブログのポストを見て、やばい!と思って急いでこの文章を書いております。

昨年の初夏に大学院で課題に追われる日々を過ごしていた折、以前から親交のあったミヤタさんから常陸太田のレジデンスの一周年の成果展にキュレーターとして関わらないかというお話をいただきました。東京では現代美術のフィールドの片隅で仕事をしていたものの、大学院では美術とは直接関係のない研究をしていたため、自分で良いのかという戸惑いがありましたが、聞けば、展覧会はある方の個人宅だった場所で開催され、芸術の日常生活における再構成をテーマに掲げるとのこと。そんな普遍的で挑戦的なテーマを目の前に好奇心が勝り、お話を快諾させていただきました。

とは言うものの、学校の関係で帰国できたのが9月初旬、9月中は他の事業のお手伝いで慌ただしく、結局常陸太田に初めて訪れることができたのは9月末になってからでした。それまで事前の打ち合わせは特になし。日が近づくにつれ、漠とした不安が募っていったのは事実です。まして、キュレーターとしての参加という話を聞いていたけれど、展示をする作家はすでに決まっている。自分はこの企画にどんな風に関わればいいのだろうか、そんなことを考えながら水郡線に揺られ常陸太田に向かいました。

展覧会の会場となった『高台の菊池さん家』を初めて訪れた時のことを今でもはっきりと憶えています。家主を失った後、建具と畳の一部はすでに取り外され、がらんどうになった日本家屋。敷居の内側に足を踏み入れてみれば、ところどころ床板は腐り、危ない思いをする箇所もしばしば。その中の壁や床の間にどこか寂しげに残されたいくつかの掛け飾りや置物。そしてそれとは全くの異彩を放つ家主のお一人であったサクさんが作ったカラフルな吊り飾り。室内全体を覆う暖かくもどこか枯れたような空気感と、ビビッドな色彩と複雑な構造をもつサクさんの作品たちとの対比。その不思議な関係性。

常陸太田芸術会議

常陸太田に滞在を始め、本格的に展示構成を始めたのが10月4日。そこでゲスト作家の津田翔平さんと初めて顔を合わせました。「あれ、なんだかお互い似てますね笑」とはにかみ合う初対面。その後もう1組の主役と言える地元の陶芸クラブ、陶水会の方々との顔合わせを済ませ、作品を拝見しました。その後、空間全体を作品化することを得意とする津田さんを中心に大まかな会場構成と展示方法が決まり、次の日から展覧会のオープンに向けて設営が始まりました。

始まったのはいいものの、滞在作家、ゲストも含め、この会場に関わる人間でモノを作らないのは自分だけ。その中で自分のプレゼンスをどうやって発揮したら良いのだろうか。自分がここに関わる意味とは何なのか。そんな問いが自分の頭の中にもやっとした陰を落としていました。一方では、よく来てくれたと歓迎してくださる地元の方たちがいらっしゃる。でも会場に入れば非作家としての自分の立ち位置をいまいち見つけられず、果たして自分に貢献ができるのだろうかとモヤモヤ模索する日々。

そんなモヤモヤが晴れたのは、会場となった『高台の菊池さんの家』のお隣に住むサクさんの息子さん夫婦、菊池覚さんと菊池政子さんの玄関先でお昼ご飯をいただいた時だったと思います。その日は、高台への斜面に作られた菊池さんの畑に、近所のお仲間が草取りを手伝いにいらっしゃっていて、そのお返しに政子さんがおにぎりやけんちん汁を振る舞っていたのでした。そこに、私と津田さんは混ぜていただきました。
その食事の優しい味が本当に身に滲みました。そしてご飯が終わった後、また淡々と畑仕事に戻られる皆さんの後ろ姿をみてはっとしました。

常陸太田芸術会議 常陸太田芸術会議

新しい苗を植えるために草取り作業を必要とする菊池さんご夫婦がいる。それを当然のように手助けするご近所の皆さんがいる。そしてまた当然のようにそのお礼としてご飯を振る舞う菊池さんがいる。
そこで皆さんは、自分のプレゼンスがどうとか貢献がどうとかそんなことは関係なく、やるべきことを目の前にして、それぞれが自分の出来ることを粛々としていらっしゃる。それはまるで、皆さんそれぞれが欠けたピースへと形を変えて、一枚の絵を完成させていく作業。絵を作っていく過程には笑いや他愛もないおしゃべりがあり、完成させれば当然のように充実感がある。
そのシンプルでとても尊い地元の方々の営みを目にしたとき、ああこれでいいのか、と素直に思えました。対して自分は、人のお宅に土足で上がり(もちろん実際には靴は脱いでいましたけど笑)なにを頭でっかちに西洋の美術館で出来たキュレーションなんて制度を持ち込もうとしているのだろうと。キュレーターだかコーディネーターだか知らないけど、そんな立場はとりあえずどうでも良いか。ここにはここのやり方があるはずだ。まずはミヤタさんの直感を信じて、この場が回るように自分もピースになろう。そのために、どのピースが欠けているのかに目を凝らそう。そして自分の体力と少しの知識と経験をそこに注ごうと、肚をくくれました。

その態度は、津田さんが会場に入るまで何一つ作品の用意をせず、会場の環境や空気を感じてはじめて作品の構想を練り始めること、そして東山佳永さんがしきりに口にしていた「場所の声を聞く」という制作態度に通じるところがあるのかもしれません。それは言ってみれば、描いた絵を現場に持ち込んで無理やりに額縁にはめるのではなく、額に合わせて絵を描く行為。

常陸太田芸術会議

そんな風に肚はくくれたものの、それで全てがうまくいくほど甘くはなかったのもまた事実です。一つ問題が解決したら、また違う問題が立ち現れる。その繰り返しでした。それでもどうにか開催にこぎ着けられたのは、問題に当たる度に、会場設営に関わる人間の中でああでもないこうでもないと話し合いの場を設けたからだと思います。視覚的効果に関わることは津田さんやミヤタさんに、そして技術的、強度的な問題に関しては大工の菊池政也さんに遠慮なく相談させていただきました。

本来であれば関わった全ての展示箇所に対して触れていきたいのですが、あまりにも長くなってしまうので、自分が最も苦心した、地元で活動されている陶水会の方々のたくさんの作品をいかにして見せるかというポイントについて詳しく書かせていただきます。

様々な種類の陶器をご提供いただいたので一般化はできないのですが、人の手によってこねられた陶芸の持つ独特の丸みや渋く優しい色味、なにより使うことを前提に作られた「用の美」は、もとは個人の生活空間であったこの展示会場にあまりにも自然に馴染んでしまいました。それは一見良いことのようにも思われますが、それでは私たちが展示を構成する意味がないだろうと。日常性と芸術との境界を問題にする展覧会をする以上は、普段日常の生活の中に溶け込んでいる陶芸作品を、見たことのない視点から眺めていただく機会を作りたい、と思ったのです。

常陸太田芸術会議

つまりそれは、既に非日常性を伴う津田さんの作品やサクおばあちゃんの作品をいかにこの生活空間に馴染ませるかという問いとは全く逆のベクトルの問いといえます。いかにこの陶芸作品たちを日常の文脈から引き剥がし、純粋に「もの」としての質感を際立たせて、それを鑑賞していただくか。津田さんの作品は、元々空間に違和なくおさまっていたものたちがそこから切り離され、もう一度それが空間ごとオブジェとして再構築されることによって成立する。そして同様にサクおばあちゃんの作品は日常的に目に触れる様々なテクスチャを持った大量生産品が作品として一カ所にぎゅっと凝縮され、そこに複雑な構造が内在されることで作品として強度あるものになっている。つまり誤解を恐れずに言えば、二人の作品はこの日本家屋に存在すること自体がすでに「変」なことなのです。でもだからこそ、鑑賞者は注目をする。作品として注意深く眺める。あとはそれぞれの世界をどう繋ぐか、を考えればいい。でも、陶水会の方たちの作品はそれとは違ったように思います。観る者が注意深く観察するためには、あまりにも展示空間の持つ世界観と親和性が高すぎる。そこで単に並べるだけの展示をしてしまったら、それは「再構成」ではないだろうと。

そこで考えだされたのが、津田さんがよく使うというLEDライトで陶芸作品を照らすと言う展示方法。場所はいろんな模索を経て、東山さんの鶴の一声によって、あの空間の中で唯一暗さを確保できる衣装部屋に。部屋を暗くすることで空間内の作品以外のあらゆる要素を捨象し、小さなライトで作品の一点だけを強調をすることによって、観る者は研ぎすまされた感覚を凝らしてそれを眺め、味わってくれるだろうと考えたのです。作品の選出は、その展示空間に合った作品をと、ミヤタさんとああでもないこうでもないと言い合いながら何時間にも及びました。展示が終わった今となってはその効果がうまく行っていたことを願うのみですが。

常陸太田芸術会議 常陸太田芸術会議

そんな具合に模索を経て展示の準備は進められ、最終的にじょうづるさんたちの部屋を作り終わったのが展示オープンの日の朝。最後までバタバタでした。しかし準備を終えてみれば、全てがそこにおさまるのが決まっていたかのように空間全体が不思議な調和を生み、安心感をも感じさせるものとなったと思います。

展示が始まってから一週間という時間は本当にあっという間でした。週末は、自分自身も1人の参加者として仲田さんのワークショップを楽しみ、次の日は東山さんの丁寧に作り上げられたパフォーマンスに心を揺さぶられました。(東山さんが舞う場面では、色んな思いが重なって涙がポロポロ流れてしまいましたが、隣を見たらミヤタさんがもっと泣いていました笑)そうして、この常陸太田でのかけがえのない日々は幕を閉じました。

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後半〈アートは出会いである編〉に続く

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