幼稚園の先生方向けWSの感想(林)

久しぶりの投稿です。
本日7月22日は常陸太田市全体の幼稚園の先生方に向けた実技研修として、ミヤタと林によるワークショップを市立のぞみ幼稚園にて行いました。
このような機会を設けていただき、ほんとに感謝しております!
そしてとってもとっても、気付くことが沢山あり、学ぶことがあり、有意義な時間になりました。

一日の流れはなるさんがブログにまとめてくださいました。→https://yui-1.com/hitachiota-air/naru/2014/07/23/
また、前半のミヤタさんのワークショップ「色をとらえる、輪郭を忘れる」の報告はミヤタユキのブログをご覧ください。→https://yui-1.com/hitachiota-air/miyatayuki/2014/07/23/

というわけで、私は自分のワークショップについて書いていきます。
ちなみに下の方に、自分が感じたミヤタさんワークショップの感想も書いたので、もしよかったら読んでみてください。

◎林友深ワークショップ「目に見えないものを描く」

実は4月に行った透明絵具を用いたワークショップ「https://yui-1.com/hitachiota-air/hayashi/2014/04/24/」と同じテーマです。
このテーマは私の表現活動の軸になっています。
目に見えないものをどう捉えるか。どう表現するか。私はいつもそのテーマを中心にアーティストとして活動しているので、これからもどんどんワークショップを通じて掘り下げていくつもりです。

美術の授業では目に見えるものを「描く」ことが多いですが、「描く」ことはもっともっと幅があるのです。

今回のワークショップでは、幼稚園に通う子供たちが一番身近な画用紙とクレヨンを使いました。
ルールは前回同様「直線を使わない」「心を込めて描く」!
描くときは「絵と会話をするつもりで」とアドバイスしました。

とにかくクレヨンを紙にあててみよう。
動かして、線を描いてみよう。
ぐるぐる、ぐにゃぐにゃ、線が重なっていくのを観察してみよう。
自分でも意味のわからない画面の動きに、また自分の感覚をのせて動かしてみよう。

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この試みは画面と自分の二人きりの世界を作り出すようです。
自然と無言で、夢中で「描く」みなさん。
画面の変化と自分の意識の変化に夢中で向き合う時間です。

気付けば自分も周りもみんな全然違うものを描いています。
同じクレヨンで同じ説明をされても、こんなにも絵はそれぞれで違ったものになるなんて!
これがこの人のエネルギーの流れなのかなあ。思考の動きなのかなあ。それが具現化された絵なのかなあと想像が膨らみました。

しかしせっかく画面に出した自分の世界を、次の行程で破壊します。
黒いクレヨンで濃く強く、塗りつぶします。
もったいないと思うかもしれませんが、これにも狙いがあります。
芸術家は常に「構築→解体→再構築」を繰り返しています。それはまるで禅問答のように繰り返し繰り返し自らに問う行為でもあります。

「目に見えないものを描く」という新しい試みをしても、一番最初に出てくるものはまだ自分の見えない世界の入り口でしかありません。
意識をもっともっと知らない世界へ向けていくため、いったん自分の作り出した世界を潰してゼロにします。

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楽しく描いたカラフルな絵を真っ黒に塗りつぶしていく様は圧巻でした。
意外にも、この破壊作業を皆さん楽しんでいました。
爽快感を感じたという方もいました。
どんな行為であっても、「描く」行為って心を開放してくれる効果があるんだな!

ここからは再構築です。
真っ黒の画面を爪楊枝でひっかき、埋まっている色彩を掘り起こしていきます。

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全体を一生懸命削り出す人もいれば、最初に書いた線をなぞって一部を掘り出す人もいます。
全然違う絵を描く人もいます。
二度目の「構築」では、同じ画用紙の上でも違う感覚に変化しているのがわかります。
どんなに掘り出してみても、最初に描いた画面とは全く異なる表情をしています。
こんなに自分の世界には様々な表情があり、様々な表現があるのだと、感じてもらえる機会になったらいいな、と思います。

このワークショップに関する感想で印象的だったのは
『「ひっかき絵」という技法は幼稚園で試したことがありますが、3段階の一番最後の段階がやりたくて最初の2工程をやりたがらない子たちがいるのですが、このように全段階を楽しんでやれるのだという気付きがありました。』
というご感想でした。
もしこの3段階をゴールに向けたプロセスだと考えると、最後の結果にばかり関心が向いてプロセスがないがしろにされてしまうことって、よくあるなあと思いました。
私はいつも「物事の本質を見失ってはいけない」と思っています。
プロセスは物語です。成功事例や成果には必ずそこに至るまでのストーリーがある。
ほんとに大切なのは、実はそのストーリー。中身の部分なんですよね。

自分にとっても沢山の学びが、発見がありました。

全体では、
概念にとらわれず心を開放すること、楽しむこと、夢中になることを感じられた、
子供の気持ちに戻れた、充実感があった、やってみると楽しいなどの嬉しいご感想をいただきました。

ミヤタさんのワークショップでは「相手の顔を描く」というシンプルな行為でも、「色でとらえる」「輪郭線を描かない」ということを意識しただけでそれぞれの個性が強く浮き彫りになりました。
みんな全然違う絵。眉毛があったりなかったり。鼻や口も線で追わず、色で追ってるからか、「鼻っぽい鼻」になっていません。嘘の線はありません。
「光と影」を必死で観察した跡がちゃんと画面に描かれていました。

ほんのちょっとの仕掛けで、こんなにたやすく自分の観念はひっくり返せるんだな。これが想像力っていうんだな。
とてもとても可能性に満ちた素晴らしいひとときでした。
幼稚園の先生方、ありがとうございました!


もうそれぞれがブログで報告しているのですが、自分が感じた前半のミヤタさんのワークショップについても書きましたので
よかったらご覧ください。↓

◎ミヤタさんのワークショップ「色でとらえる、輪郭を忘れる」

前半ではミヤタさんによる「色でとらえる、輪郭を忘れる」ワークショップです。
みんな「絵を描く」とき、つい「りんかく線を描く」ことをしてしまいがちです。
でも目の前にあるもの、黒い輪郭がありますか?
実は輪郭線なんて目には見えていないのです。
たとえばお魚を線で描くと、うまく曲線を描けたら魚に見えます。
でも少しでもボコボコしてしまうと、お魚には見えなくなってしまいます。
線で対象を捉える技法では絵に「上手い」「下手」が出やすくなってしまうのです。
線をうまく描けるか、という視点だけで小さい時から教えられてしまうと、線が上手く引けない人は「私は絵心がない」「絵が下手なんです」になっちゃう。
それはちがうんだ!
世界は、「面」としても捉えられるんだ!
そこでミヤタさんは「線を使わず面で捉える」ワークショップを行いました。
ミヤタさんはピカソやラウル・デュフィを参考にして線ではなく面でとらえる絵のことを教えてくれました。

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ラウル・デュフィ「ヴァイオリンのある静物」

机からはみだすオレンジ色、葉っぱや壁を横断する桃色など、線と面の色彩が重なり合っています。
これは、面でとらえてから線を入れているので、線を描いてから色で塗りつぶすのとは逆の視点になっています。

面でとらえるためにミヤタさんはカラーセロファンを用意しました。
このセロファンを通してみた「目の前の相手の顔」をポスターカラー(不透明水彩)で描きます。
なぜセロファンを使って見るかというと、普通に見るとつい本物に近づけよう、上手く描こうとしてしまうので、そのとっかかりを外し、素直に「面」をとらえて描けるよう仕掛けをしたのです。
セロファンから覗く世界は青色のセロファン、黄色のセロファン、赤のセロファン、緑のセロファンで明るさや色の感じが全然違います。
そんな中、自分は何を見つけ出すのか。どう描くのか。そこに個性が現れたように思います。

ミヤタさんは皆さんの作品をみて「こんなに個性が出るなんて」と言っていました。
確かにそうです。
もし、何も言わずに「相手の顔を描いてください」とお題を出したら、まゆげがあり、目があり、鼻があり口がある絵になったでしょう。
ところが今回は、同じ顔でも、みんな鼻の穴がなかったり、顔の外側にも絵の具が飛び散っていたり、そもそも顔の色が黄色かったり青かったりしていて、それぞれがそれぞれの独創性を持っています。


ミヤタさんのワークショップも沢山の発見がありました。
何より、先生方の懸命な試行錯誤が、楽しさが、観察の筆跡が、絵にも本人たちの表情にも表れていて、そこにはとてつもない可能性があると感じました。

園長先生たちの想像力も、アーティスト顔負けでした。やっぱり全人類、アーティストなのだ。

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