ヒタチオオタ芸術会議(前半)開催しました!

10月13日〜19日、ヒタチオオタ芸術会議(前半)が開催されました。
沢山の方々にご来場いただきました。ありがとうございました!

11月8・9日には里美地区の荒蒔邸にて行われます。
11時から16時です。なるさんの作品展示を中心に、ミヤタさんのコイノボリワークショップや、林の作品展示があります。
里美カフェも同時開催です。新作満載です。
そして今回も趣向をこらした空間作りに挑んでいます。

遅くなりましたが、水府と太田を中心に10月13日〜19日に行われたヒタチオオタ芸術会議(前半)のことを書きたいと思います。
自分視点の所感です。


 今回のイベントは、常陸太田アーティスト・イン・レジデンスがはじまって約1年の成果展でもあります。これまで様々な形で少しずつ関わってきた地域の方々に成果や目標を、自身の作品をお見せしながら話すことのできる貴重な機会となりました。


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 10月13日~19日のメイン会場は菊池さん家の空き家を利用した展覧会でした。昭和初期に建てられたこの家はもともと茅葺屋根だったそうです。屋根が変わり電気が通り増築され、家も世代も変化する中、常に支え続けた大黒柱は時間の重みと思い出の厚みを感じさせます。そんな歴史のある昔懐かしい菊池さん家に再び命を吹き込む物語は、菊池さん家の亡くなったおばあちゃんによる美しい手作業を偶然発見したところからはじまりました。
 今展示では大量に作り溜められた菊池家のおばあちゃんの作品群と、地元の陶芸クラブ「陶水会」の陶器作品群、そして東京を拠点に活動する現代美術家の津田翔平による作品を展示しました。それぞれ異なる制作意図で作り出した作品群を1つの空間で、しかも民家で展示することの難しさもあり、会場構成は試行錯誤の連続でした。しかしその繰り返しの中で自然とそれぞれの物語が絡まりあい、不思議な違和感と安心感のある展示空間が生まれました。今の菊池邸に宿る息吹は、きっと今までのおばあちゃんの生活の時間、家族の時間だけではなく、私たち他人の寄せる美しいものを尊く想う気持ちや陶水会の方々の温もりある作品群が結んだ新しい物語なのだと思います。
 会期の10日前から、ゲストアーティストの津田翔平さん、コーディネーターの佐藤慎一郎さんが現場に入り、ディレクターのミヤタさんと途中から加わった踊り手の東山佳永さん、そして家の改修に貢献してくださった大工の政也さんを含む5人が中心となって空間が作られていきました。民家、それももう人の住んでいない空き家を展示会場にする作業をたった10日間で、しっかりとじっくりと丁寧に向き合ってくださったことに感謝しています。
 私はおばあちゃんの折った蝶々の展示と透明絵具作品の展示を行いました。おばあちゃんの蝶々を天井にくくりつける作業をしていると、おばあちゃんの想いや感覚が自分の中に降りてくるような錯覚に陥りました。その蝶々を透明絵具で模写し、ガラス面に貼付けました。他者の手作業を自分の手で丁寧に模写をするこの手作業によって、おばあちゃんの時間を追体験したような、時空を越えて何かがぴたっと結びついたような感覚をおぼえました。
 私はそれ以外菊池邸の空間構成にはほとんど関わっておりませんが、この場所で制作をしたり差し入れをしたり、空間構成の現場に立ち会いながらみんなの意見に耳を傾けることができ、大変刺激的な日々となりました。
 家というもの、日常というもの、生まれて死ぬということ、展示するためではない自分の楽しみとしての物作りの強さ。とても色んなことを感じました。また、自身にとって「手作業」と「アート」が近づくきっかけとなりました。陶水会の方々と交流会で話した時、彼女たちの中でも自身の身近な「手作業」や「物作り」と「アート」に重なる部分を見出していることに気付きました。何もかも、まず最初に人間の身体があり、楽しい、面白いという感覚の延長で様々な表現があります。だからこそアートは身近であり、そして理解できないものでもあるのです。「わからない」ことを楽しむ、「わからない」ことを受け入れるということが私たちにも地域の方々にも感じられる展示だったのではないかと思います。


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 19日には踊り手・美術家である東山佳永さんによるパフォーマンスが行われました。菊池さん家をすごろくに見立て、お客さんはさくおばあちゃんになりきって1マスごとに描かれた思い出を踏襲していくという参加型のパフォーマンスでした。ゴールは天国です。たどりついた天国のおばあちゃんに向けて、菊池さくさんの息子さんである覚さんからの「レクイエム」と題したお手紙が、東山さんによって読まれました。気付けば参加者の誰もが菊池家という家族の思い出を共有していました。
作家のかけた優しい魔法が空間を漂う、素晴らしい時間になったのではないかと思います。

 私は菊池さん家にまつわる物語にはあまり関われなかったため、もう少し深く関わりたかった心残りがあります。絵画表現という形での接点を既存のカタチで想像するのではなく、「描く」行為の幅を広げて取り組むことが今後の目標です。

 菊池邸での展示を終えて、地域にまつわるアート活動と都内でのアート活動には精神的にも物理的にも人間関係や自然環境の差があるんじゃないかと感じました。物事の違和感や新しい切り口を探り出して浮き彫りにするのが現代アートならば、それを自分のテリトリーから無理矢理引っ張り出すのではなく、菊池邸での葛藤のように不和や調和の混在した現実が自然と目の前に差し出される状況に在るのは、地域アートの特徴なのではないかと思いました。


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 私が最も力を入れたのは市民交流センターのガラス面の展示作品です。瑞竜中学校、カフェ+1、自宅、水府支所、こしらえ館でワークショップを行い、総勢約160名の方々の作品と自身の新作をあわせて展示しました。

 移住してから11ヶ月間考え続けていた「地域おこし」や「地域を元気にする」という漠然とした活動内容と、それに対するアーティスト林友深としての関わり方や切り口について1つ答えを出すつもりで展示作品に取り組みました。
 私が見て、感じてきた「地域を元気にすること」の1つのカタチは、これまで関わることのなかったもの同士が繋がり、そこから新しい流れを生み出すという現象です。地域によそ者が交じることで客観的な視点が生まれ、アートという切り口によって異質なもの同士が妙な調和をもって混在する状況が生まれ、そこに新しい風が吹き込んできます。そこから種は風の力で飛び、あらゆる場所で育っていきます。私は事業において、この土壌作りを手伝い、風を巻き込む力を想像する役割があると考えています。このエネルギーのうねり、流れに着目し、絵画表現で地域の方々に届けたい!それが今回のガラス面の作品「エネルギーの転回」に込めた想いです。
 作品展示に向けた各地でのワークショップは「エネルギーを描く」をテーマに掲げ、それぞれの心の赴くままに制作をしていただきました。結果、非常にパワフルで、形態も見た目もバラバラな作品が大量に生まれました。それは驚くべきことであり、プレッシャーでもありました。作品群のエネルギーをどう扱うか、どう形にするかが重要なポイントとなりました。
 地域の方々の大量のエネルギーをたずさえ、ぶっつけ本番でガラス面に対峙したとき、すっと手が動きました。実はワークショップの時から気付いていたことがあったのです。「エネルギーを描く」と言われてわけがわからないまま描いていくうちに、だんだん何かの形に見えてくるのです。それは空だったり、太陽だったり、植物だったり魚だったり犬だったり様々です。緑色の線がくるんと渦を巻けば植物のツルのように見え、黄色いトゲトゲした円を描けばビッグバンや光のように見えるのです。何も考えず描いたとしても、自分の好みの配色や手癖により、やはり何か形に見立てることができてしまいます。人間の想像力があればこその現象なのかもしれません。どんな抽象的な模様でも、同じような流れを持つ具象が存在するのです。そもそもどんな抽象的な絵を描いたとしても、その絵自体は物理的にこの世に存在している時点で、具象以外の何者でもありません。絵は人間の観念や視覚の矛盾点を鋭く突いてきます。
 そんな経験があったため、いざガラス面に配置する際、他人の作品同士の調和や不和を楽しみながら何かの形に見立てて構成することができました。「これは龍の首のようだから、そうするとこれは龍の胴体になるな。」というように。
 こうして、全く関わりのない赤の他人同士の作品が繋がって別のカタチが生まれ、違和感と調和が共存するような画面になりました。まさに自身の「地域おこし」像を体現する絵画作品ができあがりました。

 美術協会10周年記念展に出展した作品や水府支所に展示した新作の絵画作品には、水府に移住してからの様々な感覚の変化が表れています。
 水府に移住してから見る風景ががらりと変わりました。植物に溢れ、季節が日々移ろい、太陽の光も曇天の薄暗さも大きな空から豊かに感じ取れる環境。雨音や虫の音により、自然の静寂の饒舌さを感じるだけではなく、人間関係にも風が吹きぬけ、空気の匂いが変わっていくのを感じてきました。その空気、風の動きや、そこに体をあずけて感覚のままに踊る心、そこからさらに掻き回されて生まれる不思議なリズムやエネルギーを描きました。


 18日は水府支所にて、写真家の仲田絵美さんによるワークショップ「写真について話をしよう」が行われました。
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 これは私が持っていった写真です。誰が持ってきた写真かは明かさずにシャッフルし、他人の写真から「撮影者は誰か」「撮影者と被写体の関係」「いつ」「どこ」「どんな状況か」などを推理して発表していきました。例えば親友が撮った写真と赤の他人が撮った写真では、被写体との距離や表情が変わりますよね。そういった距離、表情、場所などから関係性や背景を読み解いていきます。
 他人の写真を読み解くことにより、写真にいかに情報が隠されているか、いかに自分が普段写真を読み解かずに瞬間的に判断しているか、そして他人と自分の認識のズレや、それぞれの視点や感覚の違いに触れることができました。
 今回の参加者は皆年齢が近かったり観察眼の鋭い方が多かったせいか、あまり「ズレ」は浮き彫りにはならなかったですが、もっと異なる年齢層、異なる文化的背景の人たちが集まった時、いったいどんなズレが生まれるのかが次回の楽しみです!
 本当に素晴らしいワークショップでした。仲田絵美さんの今後の活躍にも期待が高まります。


 水府を中心としたイベントの前半が終わり、作家たちが帰り、満たされたまま取り残されたような感覚でした。

何かがはじまると、何かがおわる。
風が吹けば、そこに留まるもののいくつかは飛んでいってしまう。
新たな風が吹いて、季節がめぐり、また出会うのだろうと思う。
ふいに会いたいと思うのは、とても自然なことなのだ。

こんな感覚を持ちながら、まだまだ忙しい日々が続いていて、常に感覚を更新し続けて今に至ります。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。


みんな
そしてみんなに、ありがとうです。似てないけどごめんね。



さ、後半も負ける気がしないぜい!


Comment

  1. 石井京子 より:

    先日の芸術会議でサポーターとしてお会いした、石井と申します。常陸太田市や市の事業である「常陸太田アーティスト・イン・レジデンス」がどのようなものであるか、理解しているとは言えないまま参加しましたが、林さんやミヤタさんが地域にとけ込み、熱心にお年寄りの声に耳を傾けているのを見て感心いたしました。難解といわれている現代アートがおばあちゃんたちに “すんなり” 受けいられているのは驚きでした。水府、里美地区ばかりではなく、私が居住する上土木内でも周りは60代70代といった高齢者が占めています。(そういう私も60歳!)でも、希望がもてました。ありがとうございました。

    現在私が居住している自宅には、納屋や広めの庭があります。
    このスペースを上手く使って、皆さんのお役に立てればと思っています。

    林さんの都内(都会?)アートと地域アートの考察は素晴らしいです。

    今後ともよろしくお願いいたします。

    • 林友深 より:

      石井さん
      コメントありがとうございます。初めてのコメントだったもので、いま気付きました。汗
      ああやって密に地域の方達とおしゃべりしたり目の前の出来事を共有できるひとときというのは、とてもとてもかけがえのないものです。
      それが日々の思考の養分になっているなと感じます。
      作家としての自分にも、感性の奥深くにジンジン響いている気がしています。

      一度、ぜひ石井さんのお住まいに遊びに行かせてください!(*^-^*)/
      小沢町くらいまでしか行ったことがないので、上土木内まで今度ブーンとまわってみます。

      こちらこそ、よろしくお願いいたします。(^▽^)

      林友深

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