こんにちは。
ディレクター兼アーティストとして
活動させていただいていたミヤタユキです。
常陸太田市報や水府地区のニュースペーパー等では
お知らせしておりましたが、ブログやFBではお知らせがまだだった(!!!)
ので、改めてご報告します。
2015年9月を持って、任期を終了しました。
(というか、していました。)
報告おそ!という声が聞こえてきそうですが・・・
そこはもう、本当、すみません。。。
また、2015年10月から12月までは、ゲストアーティストとして
芸術会議に参加させていただきました。
地域、行政、アートの関係性の言葉に表しきれない難しさと
難しいからこその面白さ。数えきれない出来事。。。
この2年間を再考し、改めて読み解きながら
いつの日か、文章にできればと思っています。
たった2年間とは思えない充実した日々でした。
たくさんの方に支えられ、たくさんの方に助言をいただきながら
垣根を越えた多くの経験をさせていただきました。
深く感謝しています
現在も、常陸太田水府地区を拠点に活動を続けています。
主な活動である「水府コイノボリプロジェクト」
「井戸端アートプロジェクト」も、継続しています。
また、上記の2つのプロジェクトの活動場所でもあり
レジデンス施設にもなっている、アートスペース
『ロクロクリン』を2015年10月にオープンしました。
国内外のアーティストが滞在し、地域の皆さんと交流する
面白い空間になっています。
まだオープンして半年ですが、すでに10人のアーティスト
アーティスト以外も20人を超える個性あふれる皆さんが滞在しました。
たくさんの人達が交流し、面白すぎる化学反応が起こりまくっています。
「水府コイノボリプロジェクト」は任期終了後、
チームの人数も増え、『ロクロクリン』を拠点に
商品開発や作品制作が急速に進んでいます。
取材やオファーもどんどん増えています。
5月には、記念すべき第1弾の商品を販売予定です。
その際は、またお知らせできればと思っています。
「井戸端アートプロジェクト」は任期終了後、
チームのお母さん達が自主的な活動を続けています。
水府地区の公民館や『ロクロクリン』を拠点に、
週に1回集まり、作品制作をしています。
多くの作品が生まれ続けており、今年の夏には
その一部を商品化する予定です。こちらもお楽しみに!!
ということで、ミヤタユキin常陸太田は
まだまだまだまだ続いていきます!!!
やっとスタートラインに立てた!という気持ちです。
『ロクロクリン』
「水府コイノボリプロジェクト」
「井戸端アートプロジェクト」
をまとめたWEBサイトもつくる予定ですので、
今後の活動は、そちらで発信していければと思います。
(夏頃にはつくりたい・・・・・)
ということで、挨拶らしい挨拶ができずすみません!
しかし、常陸太田での活動はこれからが楽しくなっていくはず…!
アートだけでなく、さまざまな活動はとにかく続けなければ
本質に触れられないような気がしています。
なので、今後ともどうかよろしくおねがいいたします。
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そして、最後に
2年前(2014年3月)に書いた文章を発掘したので載せておきます。
かなりひどいボキャブラリーですが(苦笑
雑な表現が多々あり、気分を害される方がいたらすみません!
ただ、基本は変わっていなさそうなので…
常陸太田市民になって5ヶ月たちました。
あと1ヶ月もすれば、私は29歳になります。
なんとなく、内容のうっすい長文書いてしまった。超つまんなくて、バカなの?て思われるくらいなんのまとまりもないので、あしからず。
20代で過疎地に移住するということ。都心の人達には、すごい決心だと言われるし、近所のおじいちゃんやおばあちゃんは、やや若い女子ということもあり、無条件で優しくしてくれる。東京藝大の院生だと聞けば、何もしていないのに何かやってくれた!みたいな目でみてくれる。この地にいてくれて感謝!みたいな。嫌な気はもちろんしないけど、おかしな感じだと思う。本当。
過疎地に移住することは、本当たいした事ではないし、当たり前だけど、田舎暮らしがしたいとかチヤホヤされたいがために暮らしてる訳でもない。高齢化が進んだ過疎地に、若い人がいるってだけで、何かが生まれるとは思う。でもそれは若いってだけだから。少しイベントやったり、ちょっと広報してみたり、そんなの若けりゃ誰だってできるから。あーこんなことあって感動したなぁ、あー自然って最高だなぁ、あー人との繋がりって美しいなぁ。そんなこと毎日思ってるけど、そんなこと住めば誰だって感じるだろうと思う。地域は動いてるから、私が移住しなくたって別に。そんな事をやりに住んでる訳じゃないし、地域を変えたい!とか思ってもいないし。変えてもらってるのは、私の方だな、と毎日思ってる。
私は地域における芸術の在り方を少しでも変えたいだけなのだと思う。単純に、芸術にもっと触れて、創造力と想像力を活かしてほしいだけ。生活の中で。そのことによって、全てにおいての選択肢を増やして欲しいだけ。変えるというよりは、もともとあったものだから。歴史的コミュニケーションだから。
え?芸術家?何しにそんなのになるの?稼げるの?将来どうするの?親御さんは寛大だね〜。女の子だから気楽でいいね〜。とか、そんなこと言われすぎて飽き飽きしてるし。そんなこと、芸術家が100年後200年後も言われてたら本当最悪だと思う。自称アーティストが増え続けるのも嫌だけど。ま、どうでもいいか。実際日本では稼げない芸術家ばかりだし。私も含め。
私は過疎地に移住して、アーティストインレジデンスに所属してるんだけど。始まるまでと始まってからで、そりゃあもういろんなことがあったし、あるし。地域における芸術の在り方を変えたい!意気込んできたものの、それ以前にやることはいっぱいなわけで。当たり前だけど。真の芸術表現を行政主体で行う事のほんっとうの難しさ。根本的な違いに悩みがつきない。人間としては理解しても組織としては理解しないことって難しい。そこが面白みでもあるけど。。地域おこしっていう言葉がまず好きじゃないし、それを私の最も愛し信用している芸術とあわせるんだから!慣れて受け入れるまでに時間もかかるよね。
言葉や表現の置き換えを強いられたり、根本的に理解されなかったり、否定されたり、期待されたり、多くの人の意識や観念の渦で溺れそうになったり、時間とか年齢とか所属とか自分を自分たらしめているものとか、そういうことに意義があるのかないのかすらわからなくなったり。そもそも、純粋な自己表現を突き詰めて生きてきたのに、言葉や表現の置き換えを強いられるなんで地獄みたいな苦しみであるからね(苦笑)。いろいろな思いをして、精神崩壊したりなんだりしながら言葉を飛び越えてきたのに、結局言葉に戻らないといけないという切なさったら!それでいったら、アーティストインレジデンスって言う言葉もいつかなくなればいいと思ってる。アーティストが地域にいて、芸術文化がその地に根付く事なんて、全然特別じゃないから。本来は。
そもそも私はアート信者で。信じている巨大なもの、空間より大きいそれのおかげで、私の精神や観念は社会のアレコレに傷つけられても殺されない自信があるからやっていけるんだな。と思う。
あと、この前のイベントで私が喋ってたことも。
文字おこししてくれたのでちょっとメモっときます。
私は今は芸術、昨年度は旅を仕事としてやっていたけど全然違うことをやってるという感覚はない。私の住んでいる水府にはおじいちゃん、おばあちゃんしか周りにいないけど、なんの 違和感もなく。今日みたいに子どもがたくさんいてもなんの違和感もなく。 観光、子育て、芸術というが、結局はひとつだなと思う。行政や民間企業がやると大抵は言葉で表現するので 分けられちゃうことがほとんどだけど、アーティスト目線でいうと、すべてひっくるめて言葉にせず「みんな来てここで遊んで」という気持ちがあるだけで。 仕事でアーティストをやっているわけではなくて、生きている中で絵を描いて作っている。子どもと 同じことをしてるだけ。 広く考えれば人間はみんな同じ。みんな同じで隔たりなくなる空間が大切。それが当たり前だから。分化する必要なんかなくて。人は何でもできる。「私はこれしかできません」はおかしいなって思う。だれもがママに、パパに、子どもになれる。何者でも、なににでもなれる空間がいつもどこかに存在すべきなんだなと思う。